この国の憲法によれば教育は機会均等のはずなのですが、現実にはそうなっていません。
特に東京など都市部と地方との格差は目を覆うものがあります。解消をという声はありますが、はっきり言って無理ゲーの領域だと思います。無理ゲーを信じて自分の子どもを犠牲にしたくはないですからね。北海道の地方に住んでそう思う理由を挙げてみたいと思います。
地方には高度な教育の需要がない
根本的にはこれに尽きます。需要がないところに供給はない、経済の基本原則です。
地元に見合う仕事がない
高度な教育を受けても地元にそれを活用できる仕事はありません。また満足な待遇もありません。仕事やそれに見合う待遇をもとめると、大都市部に出ざるを得ません。
地方では仕事や待遇は何を学んだかよりも、家系やコネで決まるので、そのために学ぼうなんて動機は起きません。
せいぜいあるとしたら、地域を出るためになりますが、家族分断や高額な費用を選んでまで出たいかと言われると、家庭の事情によって変わってくるということになります。
文化面の格差
文化施設の少なさ
地方には文化施設が少ないです。
都市部には官民問わず博物館や美術館、図書館、書店、商業施設や学習施設、遊戯施設に至るまで多様な施設があり内容も充実しています。地方はどうしても見劣りします。
書店ひとつとっても数は少ない、またあっても地元で売れる本でなければ当然置かないため、地元のレベルに応じた品揃えになります。学習参考書などは高度なものを必要とする学校がそもそもないため、本州の都市部の書店と比べると雲泥の差です。
近年はネット通販などで格差は縮まっているなどと言う人もいますが、ネット通販がなかった時代よりマシとは言え、書籍ひとつにしてもタイトルとレビューだけでいくらでも買えるわけでもなく中身をみないとわからないことも多い。そもそもモノそのものに出会わなければその存在を知ることもない、それは書籍に限らず商品や文化についても言えることで、地方ではこの出会いが少ないのは動かせない現実です。
これも確実に格差につながります。
学ぶ環境もない ~ 学校の教育も格差だらけ
進学校がない
地方には進学校がありません。地方では都市部でも同様で、かつて進学校だった学校も定員割れで成績低くても合格できてしまいます。当然進学実績もボロボロです。
したがって進学校を目指すために勉強するという動機も働きません。
札幌など道内でも一部の都市には進学校がありますが、多くの地方からは通学できないので下宿など経済的負担が大きいばかりか、北海道では学区制が残っているため他地域からは定員枠に制限があり学力的にもその地域以上が要求され、高い壁となります。
受験がないに等しいので勉強しない
勉強しなくても地元の高校に行けてしまうので多くは勉強と言えるほど勉強しません。
この間に本州や道内でも都市部の子どもは受験突破のため勉強しています。
当然、格差につながります。
事実、地方ではやや都市部であっても極めてのんびりしたものです。
都市部の進学校を目指して勉強する子どもは少数のヘンな人状態なので、モチベーションにも多かれ少なかれ確実に影響を及ぼします。
地元の高校に行こうが、他地域の進学校に行こうが、このツケを多かれ少なかれ次の大学受験でも払わされることになります。
学校や教師の質もそれに対応
こうした地域の雰囲気に学校や教師も対応せざるを得ません。
学校や教師も好き勝手なことができるわけではなく、目の前の子どもの平均的レベルにあわせないと授業にならなくなるので。
さらにその環境に長くいる教師はその状況に長じてしまいます。他地域の状況も十分知りません。文化的な格差が地域にあることも、長期的に教師の知識面、人格面ともに影響を及ぼします。
これらの点は教師の資質と言うよりは、教師が地域にあわせないといけないから。地域に根ざした教育だかなんだか知りませんが、かつての全国均質の教育から、学校が地域と結びつくようになってからさらに劣化が進んでいると思います。
さらに最近教師という職業が不人気になってからは若干様相が違うかもしれませんが、かつて狭き門だった頃は採用試験に合格できるのは大学もあって学力形成的にも恵まれた都市部出身者が中心。基本的には地元で働きたいはずで、それが地元で家族などの心配も少なく働ける教師と、そうでなく地方に飛ばされ家族や遠距離通勤不安を抱えながらよそ者として無関係な地域で働かざるを得ない教師の違いは何なのか、能力なのか、そこにも格差が明確にあるのではないのか。
その結果、教育格差として現れます。
子どもに多様な刺激が生まれない
ある程度の母数のさまざまな子どもが多様な文化を享受し、多様な価値観や文化をもつ友達と触れ合い学びあうことで学力にせよ人格にせよ向上していきますが、人口も文化も少ない地域ではどうしてもそうした交流が少なくなります。
これが格差につながります。
校風は作れるものではない
数少ない魅力的な学校には良い校風があります。
校風は過去からの伝統や学んできた生徒や地域の行動が生み出してきたもので、道外の私立ではごく少数の例外はありますが、基本的には作れるものではありません。壊すのは簡単ですが。
学校生活の充実度から進路実績に至るまで、根ざしているのは個々の学校に根付く校風で、核心部分は真似したり代えがきいたりするものではありません。
進路実績にしても偏差値上の難関校への進学数だけではなく、進学先で学業や友人関係生活面も含め、どう充実した生活を送れるかが重要で、そのためには学校の授業の質や量よりも、共に学ぶ仲間の質が重要になります。
昨今は「どこの地域でも学びを保証する」などと称して、その実は生徒の流出が止まらない地方の不人気校をいかに維持するかを考えた愚策に過ぎないのですが、特進クラスを作るとか、進路実績をあげようと思ってるつもりらしいのですが、だいたい失敗してます。
学校の中にレベル差を抱えて特進クラスなんかを作ったところで学校の雰囲気が悪くなるだけ。生徒達が嫌がっているどうしようもない事例まであります。それでたいした実績が上がらないのも当然なんですが、そこで無理な勉強だけして少数の高い実績をあげたところで、その先で学業も友人関係もついていけるか。ついていけずに引きこもり同然になる事例も多くあります。
あと、地方からの流出が止まらず、地域内で学校統合して新しい校風を作りましょうというパターン。これも失敗ばかりです。
北海道でもいくつも事例がありますが、だいたい残しちゃいけない方の学校の施設を使いましょうという統合パターン。古い学校の校風ももれなく付いてきます。統合前の悪いとこ取りになってますます低迷するパターンばかり。
だいたい地域から子どもが流出しなきゃいけない理由がなんなのかを考えろと言いたいですね。地域にないものが必要なんです。作ろうとしてなんでも出来るもんじゃありません。
地域に根ざした学校が格差を酷くした
近年の地域に根ざしただかなんだか知りませんが、地域の素材や人材を使うなどといった学校のやり方が、格差を広げているのではないかと思います。
地域の素材や人材にそもそも格差があるんだから、それを各地で教育に持ち込んだら格差が広がるのはあまりに当然のこと。
教育に地域による格差はあるべきではないのだから、むしろ余計な地域色は排除すべきではないかと。
教育格差を本気で解消したいと思うなら
本気で都市部と地方の教育格差を解消したいと思うのなら、以下のことをすべきと考えます。やるわけないでしょうが。
学校統廃合はすすめる。教育委員会も。
子どもが学び合うためにはある程度の子どもの母数はどうしても必要です。多様な価値観は多様な子ども同士が出会って共に学ばない限りは絶対に育まれることはありません。
通学の手段を確保した上で、学校統廃合をすすめるべきです。
すでに市町村で1校しか学校がない地域も多くありますが、別に市町村ごとに無理して1校ずつなければならない理由もないです。
教育委員会も広域にした方が過剰な地域性に振り回されることもなく、中立性や多様な価値観を反映しやすくなります。
はっきり言えば何して何成果出してるのかわからない教育委員とか校長とかに高額な人件費を投じるより、地元でバスやタクシーの運転手を雇用した方が地元のためになります。
学校統廃合がイヤなら、人口増やせばいい、それだけのことです。
それでも小規模校を維持し続ける地域には、適正規模の学校への通学を希望する家庭に他の市町村を含め通学手段を確実に提供するよう義務づけるべき。地域の意向の名の下に個人の希望が妨げられるのは、教育に名を借りた虐待レベル。
高校入試の改革 学区制を廃止、入試最低点の導入
北海道の高校入試における地方差別の悪弊のひとつである学区制は即刻廃止すべきです。まさに住んでいるところによって受けられる教育に格差が起きる象徴です。
学力はもちろん校風も学校選択の重要な要素であり、地方の数少ない高校がどう頑張ってもそのすべてのニーズを満たすことはできません。
むしろ、JRや都市間バスをフル活用して都市部の学校に自宅からでも通えるようにしたり、低額で安全に滞在できる下宿などを整備した上で、地方からでも頑張れば経済力にかかわりなく積極的に都市部のどの学校でも本人の意向にあわせて進学できる選択肢を持てるようにした方がいい。
ただそれが完全にできたとしても地元や親元を離れたくないというニーズもあるでしょう。いくら校風や学力が良くても本人のメンタルが持たなければ何もなりませんから。
地方の高校の質を保証するために、入試最低点を導入すべきです。
学力検査でたとえば50%以上の得点を取れなければ内申書の如何に関わらず例外なく落とす。そうすればまじめに受験勉強をするようになります。
体調や試験本番に弱くて取れないという向きのために、年に複数回実施するとか中学校での実施にするとか本当に学ぶ意欲がある子どもに対してなら救済する方法もいくらでも取れるはず。
今の北海道の地方の入試は酷すぎます。学力で不合格を出さないので定員割れの学校は0点でも入れます。それが勉強しないことに繋がっているのは間違いない。
本人だけならまだしも、勉強しない勢力がマジョリティになることで、勉強しようとしている子どもの足まで確実に引っ張ってます。
公立校の入試は「学力検査」なんだからきちんと「検査」しろと言いたい。公立校の入試で5割取れないのは、入学後に高校生としての勉強がきちんとできるのか疑わしいレベルです。
交通網をフル活用して地方からでも都市部の学校に通えるようにする
北海道には瀕死のJRや都市間バスのネットワークがあります。人口減などを理由に利用者が減り瀕死のようです(実際は違う問題だと思いますが)。
北海道の交通網を本気で通学にあうように運用すれば、都市部に通学できる地域の範囲はぐんと広がります。
東京など本州の大都市部では通学に2時間以上とかいう人もざらにいます。それでも自分の行きたい学校を選択して自宅から通えるならいいと考える人も少なからずいます。自宅外は想像以上にカネかかりますから所得の低い北海道でせずに済むならその方がいいし、子どもも余計な気を遣わなくていい。
地方から自宅通学出来るということは人口や人材が残るということでもあります。人口維持と交通網の存続も兼ねて公費を投入してもいい。
親の都市部への移住・転職を支援する
都市部に住んで進学校に自宅から通いたいという需要もあるでしょう。その時に足かせになるのが親の仕事。
なら親の転職を支援したらいい。
家族の都合で住む場所を選べるようにするのも住所選択の自由という人権を確保するために必要。
親の職業のせいで子どもの進路が妨げられるなどということもあってはならないのですから。
地域色のない小中学校を別につくる
地域色が格差につながることは先にも書きました。
地元で生まれ育ち一生をそこで過ごす人には地域色を学びたいというニーズもあるでしょうが、一方で転勤とかで飛ばされて仕方なく来た家庭ではそんなものは学びたくない学んでも何にもならないというニーズも確実にあります。
地域色のない公立の小中高一貫校を、北海道内の通学可能な地域ごとに作る、入学時に学力検査をして質を維持する、親の転勤で学校を変わっても教育に差が出ないようにこの学校間の転校を自由にする、そんな学校を設置してはどうか。
転勤族にとっては、子どもの就学時期に転校があると、特に中高では詰みます。この格差を解消するために質が保たれた学校を全道通える場所ごとに用意する。それでこそ転校の可能性がある子どもも学びの質を維持できるのではないでしょうか。
オンライン授業を本気でやって、地域にかかわらず学校を選べるようにする
コロナ禍でオンライン授業が話題になっています。
オンライン授業もないよりマシとは言え完璧なものではありません。本来は学校も含め学びは授業だけでなく共に学ぶ仲間との切磋琢磨によって伸びていくのが本質だと、経験を通じても私は思います。
オンライン授業で地方との教育格差が解消するなどという一部の言説も勘違いも甚だしいところだと私は思います。
一方で地方のヘンな学校に通うくらいならオンラインのほうがマシという需要や、転勤族なら自分の本来の地域の学校とつながり続けられるというメリットもあります。冬の気候が厳しくよく交通機関が止まる北海道では夏は学校に通うが冬はオンラインとかいう選択肢もできてくるでしょう。
また逆に地方の学校が本当にいい教育をしているなら、オンラインで都市部の生徒を集めてみればいい。通えないという制約が少なくなるから集めることも出来る。
それで集まるなら本物だし、集まらないなら魅力的な教育じゃないという結論がはっきり出る。
オンラインで出席と内申の問題さえ解決するなら、今住んでいる場所の無理して学校に通うという選択肢を捨てることも個々の状況によっては充分にアリで、その意味では推進してもいいものと思います。